
【炎上】共産党県議「自衛隊は人殺しの訓練」発言に家族会が激怒!→謝罪も批判止まず【ネット大荒れ】
はじめに|なぜこの発言が大炎上したのか?
「人殺しの訓練」ーー。
滋賀県議会で飛び出したこの一言が、今ネット上で大炎上しています。
発言の主は、共産党の中山和行県議。自衛隊の実弾演習に対し、本会議の場で「人殺しのための訓練」と断言したのです。これに対し、自衛隊員の家族会は即座に猛反発。「許しがたい侮辱だ」として抗議文を提出し、共産党県議団が謝罪する事態となりました。
けれど──
謝罪だけで、果たしてすべてが終わるのでしょうか?
SNSには「発言は自由でも限度がある」「国を守ってくれている人に対する最大級の侮辱だ」という怒りの声が殺到。中には「共産党の本音が出た」との指摘も。一方で、「戦争の本質を見つめなおすべきでは」という冷静な意見も見られます。
この一件は、単なる“失言”では終わらせてはいけない深い問いを私たちに投げかけています。
自衛隊とは何か、訓練とは何か、公人の言葉の重みとは何か――。
この記事では、問題発言の詳細から、家族会・政党の対応、そして市民のリアルな声までをもとに、社会が今直面している“見えざる分断”をひも解いていきます。
発言の概要と経緯|「人殺しの訓練」とは?
問題となったのは、2025年3月19日に行われた滋賀県議会本会議での発言。共産党所属の中山和行県議が、陸上自衛隊とアメリカ陸軍が合同で行う実弾射撃訓練に反対する請願に関連して、次のように述べました。
「人殺しの訓練」「人殺しのための訓練だ」
この発言が記録された議事録によれば、中山氏は滋賀県高島市の陸自・饗庭野(あいばの)演習場での実働訓練について強く批判。実弾訓練の中止を求める意見書の提出を支持する立場から、自衛隊の演習を「人を殺すための準備行為」と見なすような表現を使用しました。
これを受けて、県自衛隊家族会は4月15日までに有村國俊議長宛てに抗議の申し入れ書を提出。
「自衛隊員に対する侮辱に他ならず、職業差別にもつながりかねない。強く憤りを覚える」
と強く非難しました。
さらに、4月18日に行われた議会運営委員会では、共産党県議団の節木三千代代表が「不適切な発言だった。おわびしたい」として謝罪。有村議長も、節木氏に対して厳重注意を行ったと明かしています。
しかし、肝心の中山県議本人からの正式な謝罪の言葉は、この記事執筆時点では確認されておらず、ネット上では「当人が説明すべき」「逃げているように見える」といった厳しい声が相次いでいます。
自衛隊家族会の反応|「許せない侮辱」強く抗議
中山県議の「人殺しの訓練」という発言に、最も強く反応したのが、**自衛隊員の家族で構成される「県自衛隊家族会」**でした。
彼らが抗議文を提出したのは、議会発言のわずか数週間後。4月15日までに、有村國俊・滋賀県議会議長宛てに正式な申し入れ書を提出。その中で、家族会は次のように述べています。
「この発言は、自衛隊員に対する侮辱に他ならず、自衛隊という職業に対する差別につながりかねないものであり、強く憤りを覚える」
実際に抗議文を提出した背景には、自衛隊員を支える家族としての強い誇りと覚悟があるからこそ。この一言が、日々命懸けで任務にあたる家族や大切な人への**「存在否定」にも感じられた**のでしょう。
Yahoo!コメント欄にも、実際の自衛官の家族とみられる投稿が相次ぎました。
- 「婚約者が自衛官です。日々過酷な訓練に取り組む姿を知っているので、この発言はありえない」
- 「自衛官を家族に持つすべての人に対して失礼」
- 「父が自衛官で震災時に現場に出動。私たちは不安の中、誇りを持って父を応援していました」
こうした投稿には共感の「いいね」が数千件単位で付き、自衛官だけでなく、その“背中を支える家族たち”への尊敬や共感が今広がっていることがわかります。
政治家の何気ない一言が、どれだけ多くの人の心を傷つけるのか――
その“重さ”を改めて痛感させられる出来事となりました。
共産党の対応と謝罪|代表が謝罪、しかし本人は?
中山県議の問題発言を受け、共産党滋賀県議団は4月18日の県議会・議会運営委員会で公式に謝罪を表明しました。
登壇したのは、同党県議団代表の節木三千代(せつぎ・みちよ)議員。彼女は次のように述べています。
「不適切な発言だった。ご迷惑をおかけしたことをお詫びしたい」
この謝罪に対し、有村國俊議長は「厳重注意を行った」としつつ、「今後は当事者間の話し合いが重要」とコメント。事態の沈静化を図る姿勢を見せました。
しかしながら、多くの人が疑問に思ったのは──
**「当の本人である中山和行県議は、なぜ謝罪しないのか?」**という点です。
現時点で、中山氏本人による明確な謝罪や釈明コメントは確認されていません。これに対し、ネット上では以下のような批判が噴出しています。
- 「団代表に謝罪を任せて、自分は黙ってるとか最悪」
- 「他人の言葉で済ませるなら、発言の責任は誰が取るの?」
- 「公人としての責任放棄では?」
また、「原稿チェックすらしていなかったのか?」「共産党内のガバナンスの問題ではないか?」という組織的な問題を指摘する声もあります。
共産党という政党は、歴史的にも「自衛隊反対」の姿勢を貫いてきた背景があります。しかし今回のような“職業差別”にも捉えられかねない発言に対し、言葉の重みと影響をどう受け止めるのかが今、問われています。
ネットの声|怒りと悲しみが噴出「謝罪だけじゃ済まされない」
中山県議による「人殺しの訓練」発言をめぐって、Yahoo!ニュースのコメント欄には8,000件を超える投稿が殺到。多くが憤りや悲しみ、そして失望をにじませたものでした。
🔥 圧倒的多数は「許せない」の声
- 「これは謝罪だけでは済まされる話じゃない。命をかけて国を守るために訓練しているのに、ひどすぎる」(共感数:70,000件以上)
- 「自衛隊員にとっても、その家族にとっても最大級の侮辱だ。どれだけの人がこの発言で傷ついたか想像できないのか」
- 「災害時には真っ先に駆けつける自衛官を、“人殺し”呼ばわりする人間が議員であることが信じられない」
特に注目されたのは、自衛官の家族や元隊員からの実名体験コメント。現場を知る彼らの言葉は、読む者の心を動かしました。
「夫は自衛官。『有事の際、人の命を奪う可能性がある』という覚悟で訓練に臨んでいる。誤解されるのは本当に悲しい」
「震災の被災地で父が人命救助にあたっていた。そんな自衛官を“人殺し”と呼ぶのは耐えられない」
こうした声に共感が集まり、「共産党は何を守ろうとしているのか?」といった政党への不信感も急増しています。
🤔 一部には「表現の自由」「戦争の現実」への言及も
一方でごく一部には、「戦争の本質を見つめるべき」「訓練の目的は命を奪う力の行使という現実を見よう」といった冷静な意見も見られました。
「表現は極端だったかもしれないが、“訓練”の本質には向き合う必要がある。自衛隊を美化しすぎるのも危うい」
ただし、こうした意見も「それをわざわざ議会で、家族や本人がいる中で言うべきか?」という反論にさらされており、発言の“場”と“影響力”が問題視されています。
そもそも自衛隊の訓練とは?|本当に「人殺し」なのか
「人殺しの訓練」――
この言葉が強烈な違和感を与えたのは、それが自衛隊の本質とかけ離れているからに他なりません。
🛡 自衛隊の訓練は“戦争の抑止”と“国民の命を守るため”
自衛隊が行っている訓練の目的は、戦争をすることではなく、「戦争を起こさせないための抑止力」としての準備です。そして有事の際、国民を守るために迅速かつ正確に対応するスキルを身につけること。
- 実弾訓練 → 敵国からの侵略に備えるための戦闘能力向上
- 救助訓練 → 災害発生時における人命救助の迅速化
- 警戒監視・情報収集 → 平時からの抑止と安全維持
たとえば、東日本大震災では延べ10万人以上の自衛隊員が派遣され、多くの命を救いました。現地の泥や瓦礫の中で、家族も帰れぬまま不眠不休で活動した姿は、今も語り継がれています。
📊 世論調査でも「信頼できる存在」
内閣府が実施した「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」(2023年)によれば、
- 自衛隊に「良い印象を持つ」と答えた人…90.8%
- 関心を持つ理由の最多は「災害時に頼れる存在だから」
つまり、国民の多くは自衛隊を**“命を守ってくれる存在”**と認識しているのです。
🚨 武器=人殺しではない
もちろん、自衛隊が使用するのは“武器”であり、その能力は命を奪う可能性を持っています。ですが、それは警察官が拳銃を携行しているのと同じで、「抑止力」としての意味合いが大きいのです。
仮に何も備えていなければ、他国からの侵略や災害時の混乱に、国民は無防備にさらされてしまいます。
そのときに、誰が守ってくれるのか?
その問いに現実的に応えられる存在こそが、自衛隊なのです。
自衛隊と社会の関係|感謝されるべき存在?
自衛隊は、単なる“軍事組織”ではありません。
その活動の多くは、わたしたちのすぐそばで、日常生活の安全を支えるものです。
🌀 災害派遣の最前線に立つ存在
記憶に新しい東日本大震災をはじめ、熊本地震、豪雨災害、台風被害……。
日本各地の災害現場で、最も早く、最も厳しい環境に身を置いて救助活動にあたるのが自衛隊です。
「家族を置いて現場に行った父を、私は誇りに思っている」
「被災地で自衛隊車両を見て子どもが手を振っていた」
そんなエピソードが数多く寄せられ、災害時のヒーロー的存在として認識されていることが伺えます。
👨👩👧 家族と社会が支える“見えない任務”
自衛官本人だけでなく、その家族もまた、任務の影響を受ける生活を送っています。
転勤、訓練、災害派遣、緊急待機…。
ときには数週間連絡が取れないこともある中、家族は「無事に帰ってきてくれるだけでいい」と願い続けているのです。
その現実を前にして、今回の「人殺しの訓練」発言は、隊員だけでなく、家族の心をも深く傷つけたことになります。
🌍 国際貢献でも評価される自衛隊
国際的にも自衛隊は評価が高く、PKO(国連平和維持活動)や人道支援ミッションでは、高い規律と技術力、礼儀正しさが称賛されています。
- ネパール地震の支援
- 南スーダンでの道路整備とインフラ構築
- COVID-19対応での国内支援体制
どの任務も、戦闘ではなく「命を救う」活動が中心であり、自衛隊の役割が“戦争”とイコールでないことは明白です。
なぜこうした発言が出てしまうのか|背景と課題
今回の「人殺しの訓練」発言は、偶発的な“失言”だったのでしょうか?
それとも、ある種の思想的背景に根ざした意図的な発言だったのでしょうか?
この問いに答えるには、以下の3つの視点から捉える必要があります。
1. 共産党の思想的スタンス
共産党はかねてより、自衛隊の存在を「憲法違反」とする立場を明確にしてきました。
防衛や抑止力よりも「戦争を起こさない外交と平和構築」を重視しており、政策的には一貫性があるとも言えます。
しかし、それが理由だとしても「人殺し」という過激で挑発的な言葉選びは、公人としての品位に欠けると受け取られて当然です。
2. 言葉の「威力」と公人の責任
政治家の発言は、一般人のそれとは“重み”がまったく違います。
とくに地方議会とはいえ、本会議の場での発言は公的記録に残るもの。その影響は、地域だけでなく全国に波及します。
今回は、1つの言葉が数千人の自衛官・その家族・支援者たちの心を傷つけ、政党のイメージにも影響を与えました。
3. 「表現の自由」と「配慮」の両立の難しさ
一部では、「戦争の現実を直視すべき」「言論の自由だ」といった声もあります。
確かに自由な議論は民主主義にとって重要です。
しかしその自由には、**他者の尊厳を踏みにじらないという“節度”**も求められます。
とくに、命をかけて任務にあたる職業に対しては、なおさら慎重な表現が必要です。
理想論だけでは現場のリアルに届かない――この“ズレ”こそが、今回の問題の根幹かもしれません。
よくある質問(FAQ)
この問題に関して、SNSやコメント欄、検索トレンドなどでも多く見られた疑問にお答えします。
Q1. 自衛隊の訓練は本当に「人殺しの訓練」なの?
いいえ、違います。
自衛隊の訓練はあくまで「国民の命と暮らしを守るための訓練」です。たとえば、射撃訓練や戦術訓練は、侵略への対処やテロ・有事に備えるために必要なスキルの習得を目的としています。
実際には災害派遣や人命救助活動が圧倒的に多く、「命を奪う」より「命を救う」現場が大半です。
Q2. 今回の発言は法的に問題ないの?
法律上は「言論の自由」の範囲内とされる可能性が高いですが、名誉毀損や職業差別に該当するとの意見もあります。
ただし、実際に訴訟に発展している事例は確認されていません。
今回のように「倫理的責任・政治的責任」が大きく問われるケースです。
Q3. 共産党はなぜ自衛隊を批判するの?
日本共産党は、自衛隊を憲法9条違反の存在と位置づけ、「段階的に廃止していくべき」とする政策を掲げています。
その背景には「戦争の芽を育てない」という理念がありますが、災害派遣や平和貢献で活躍する自衛隊に対しては、国民から高い支持があるため、党のスタンスと国民感情にギャップがあるのも事実です。
Q4. 自衛隊員や家族は今回の発言をどう受け止めているの?
SNSでは多くの自衛官経験者や家族がコメントを寄せており、「深く傷ついた」「尊厳を踏みにじられた」という反応が多く見られました。
中には「発言者が誰であれ、自分たちは黙々と任務を遂行するだけ」と語る元自衛官の声もあり、職務への誇りと覚悟の強さがうかがえます。
まとめ|発言の重みと、言葉が傷つけるもの
「人殺しの訓練」――たった一言で、どれだけ多くの人が傷ついたでしょうか。
自衛官本人はもちろん、その家族、元隊員、被災地で助けられた人々…
発言者の想像を超える多くの人たちが、深い悲しみと怒りを感じました。
たしかに、政治家には表現の自由があります。そして平和を求める姿勢も大切です。
しかし、公人である以上、その「言葉」は一部の主張を越えて、誰かの尊厳や誇りを踏みにじるリスクを伴います。
今回の件は、「言葉の力」と「発言の責任」、そして「社会との向き合い方」を私たちに強く問いかけています。
戦争を起こさせないためにこそ、抑止力として訓練を重ねる自衛隊の存在。
そのリアルを知らずに放たれた言葉が、いかに無責任で危険か――
今こそ、私たち一人ひとりが「守られていることの意味」に目を向けるべきではないでしょうか。